「酸っぱいブドウの理論」というものがあります。これはイソップ物語の「キ
ツネと酸っぱいブドウ」という物語からつけられた理論です。キツネがたわわ
に実ったおいしそうなブドウを見つけ、食べようとして跳び上がります。ブド
ウは高い所にあり、何度跳んでも手が届きません。結局、何度跳んでも届かずに、キツネは怒りと悔しさから、最後に「どうせ、このブドウは酸っぱくてま
ずいに決まっている。誰が食べてやるものか。」と捨て台詞を吐いてブドウを取るのを諦めて去っていくというお話です。
「酸っぱいブドウの理論」とは、頑張っても手に入らない物を手に入らない悔
しさや不満を解消するために理由づけをして、こころの安定を図ろうとする人間の心理メカニズムのことです。人間は自分の目的や欲求が満たされなかったときに、その欲求と現実のギャップを埋めるために、自分の都合のいい理屈で埋め合わせをしようとします。つまり、欲しいものが手に入らなかったときに「きっと、それは自分にとって不幸をもたらすものだから、手に入らなくてよかった」と負け惜しみを言うことで、自分を守るということです。でも、本当は自分の能力が足りず手に入らなかったのです。もっとキツネにジャンプ力があれば、そのブドウには手が届いていたのです。でも、それを認めてしまうと、自分の弱点を痛感することになるため、それを認めないようにする心理的メカニズムが働くのです。ちなみに、英語で「Sour Grapes」は「負け惜しみ」を意味する熟語です。
もう一つ、「甘いレモンの理論」というものがあります。これは、どんなに酸
っぱいレモンでも、自分の力で手に入れた自分のものである限り「これは甘いレモンだ」と思い込もうとする心理的メカニズムです。人間は「自分の持っているものがより良いものである」と考えたがるという経験的法則に基づいた理論です。多くの人は、自分の持っているものが良いものであると思いたがるか、良いものであってほしいと願うものです。せっかく手に入れたものが自分の想像より価値が低い場合には、こころに大きな負担がかかります。そこで、「でも」や「だけど」や「きっと」などの言葉を使って良いものだと思い込もうとして、無意識にこころの負担を避けようとする心理的メカニズムが「甘いレモンの理論」なのです。「甘いレモンの理論」は手に入れるまでに労力や時間やお金などをかけたものであるほど、この心理が強くなります。
つまり、人間は自分の目標や欲求が満たされなかったときは「これを手に入れても、自分には良いことがなかった」と負け惜しみを言って満足し、逆に目標や欲求が満たされたときは、たとえ手に入れたものが想像とは違っていた場合でも「手に入れたものは満足できるものだった」と負け惜しみを言って、自分のこころの安定を得ようとするのです。
自分が好きな人に告白をした場合、もしフラれたときには「この人は大した人ではなかった。私にはもっといい相手がいる。」と思って安心感を得ます。一方、告白をしてOKが出た場合は、付き合っていくうちに思いのほか彼(彼女)が「キツイ性格」で自分の理想とは違うことがわかっても、「でも、これぐらいなら許せる」「きっと、これは優しさの裏返しだ」「彼(彼女)は素直にな
れない性格なだけ」と自分に言い聞かせて安心感を得るのです。
「すっぱいブドウの理論」も「甘いレモンの理論」も自分に起こった出来事に
対する不安やイライラを解消するための「あきらめ」としてはストレス対処に
有効ですが、こればかり続けていると自分に起こった出来事に対してあきらめたり、くじけたりするクセがついてしまい、成長のチャンスを逃してしまうこ
とになります。あきらめて負け惜しみばかり言っているのではなく、時には自
分の能力の低さを認め、「今の自分にはこの出来事を乗り越える能力がない。
どうすれば乗り越えることができるようになるのか。」と課題感を持って出来
事に向かい合って「チャレンジ」を続けていく。自分に起こった出来事に対して、この「あきらめ」と「チャレンジ」の2つのバランスを取っていくことが
自分を成長させていくために、そして仕事や生活を充実させていくためには必要なのではないでしょうか(終)。
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