「集団皿回し」とは、経営コンサルタントの柴田励司氏が著書「社長の覚悟」
(ダイヤモンド社)で紹介している言葉です。柴田氏は就職のときに、元々
内定をもらっていた企業から入社式前日の3月31日に突然「内定取り消し」
を伝えられ、急きょ自分から内定を辞退した京王プラザホテルに採用をお願いして、翌日の4月1日に新卒で入社したというエピソードの持ち主で、私が以前働いていた流通サービス業でも有名な方でした。
京王プラザホテルでは宴会係やフロント係を経験し、その後オランダ大使館
に出向、ホテルの人事部に戻ってからは会社の人事改革を実施しました。ホテルを退職後の現在は人事・組織などのコンサルタントとして活躍されています。柴田氏によると、「集団皿回し」とは情報端末やインターネット環境
などの情報技術の急激な進化と普及に伴い、あらゆる組織に蔓延した「病」
のことで、現在、日本の多くの会社が「集団皿回し」状態に陥っているとい
います。
情報技術が進化したことで、世の中には合理化の動きが急速に広がりました。
たとえば、従来は10人でやっていた仕事を、情報技術を駆使して8人でや
ってみようとする。この程度の合理化であれば、新たに手に入れた技術で十分にカバーできるので、何ら問題はありません。すると、次に「8人でもで
きるなら、7人ではどうか」となる。実際やってみると、すこし苦しい感じはするものの、一人あたりの仕事量を多少増やしたり、残業することでカバーはできる。本来なら、この「少しがんばれば何とかなる」レベルで止めておくべきでした。しかし、いったん加速しだした合理化の動きは止められず、
「では、6人で」「もっと削って、5人ではどうか」と過度な合理化が進んでいく。いくら情報技術が進化したとしても、実際に動くのは人です。限界はあります。結果、社員全員が「自分の目の前の仕事をこなしていくので精一杯」という状態が恒常化してしまいます。これが集団皿回しです。
1つの仕事をやることを「皿を回す」ことに例えると、1つの職場でそれぞれの社員が自分の皿を回しています。上司から新しい仕事の指示があると、
その社員は新しい皿を回し始めます。このように、一人の社員が複数の皿を回して、皿が落ちそうになったらまたその皿を回し直し、延々と皿を回し続
けているような状況が「皿回し」です。この時に、上司は自分では皿を回さ
ず、皿の枚数が増えた社員には皿が落ちそうになるのを確認して皿を回すのを手伝ってあげたり、新しい社員には皿の回し方を教えています。また、社員同士も他の社員が回す皿の回り具合や落ちそうになっている状況を確認して、助け合いながら皿が落ちないようにそれぞれが自分の皿を回し続けています。
ところが、合理化などによって新しい仕事、つまり職場で回す皿の枚数が増
えたり、職場の社員の人数が減ることにより1人あたりの皿の枚数が増える
と、それぞれの社員が自分の皿を回すことに精一杯になります。また、上司
は自分でも皿を回し始め、新しい社員を採用しても自分の皿を回すのに手一杯で教えている暇がなく、他の社員の皿が落ちそうになったとしても、自分の皿が落ちると困るから助けにも行けないという状況に陥ります。これが柴田氏のいう「集団皿回し」状態です。
今、日本では「働き方改革」が推進されていますが、単に「当社は残業を減
らします」という企業方針だけでは「集団皿回し」に陥るだけです。柴田氏
は集団皿回しの状態から脱出するために、「新しい皿を増やすなら、すでに
回している皿を置く決断をしなければならない」と言っています。例えば、
会社から新しい仕事の提案があったとき、上司は提案を受け入れるのと同時に、「何を止めるべきなのか」も合わせて考えなくてはいけません。そうで
ないと皿が増えていくにつれ、社員同士で助け合う雰囲気がなくなる、何か
新しいことをやろうとする社員が少なくなる、新しく社員を入れても教えられない、仕事でつぶれそうな人がいて気が付いていても助けられないなどが
続き、職場の生産性が落ちていくことになります。このように、「働き方改革」として生産性を維持しながら労働時間を短縮する対策を始めるのであれ
ば、同時に「何かを捨てる」ことも対策の中に入れることが必要であると私
は思います(終)。
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