今回はノートルダム清心学園理事長の渡辺和子さんがアメリカの修道院でシスターとして修行されていたときの話です。彼女はシスターになる前はキャリアウーマンでした。そんな彼女がその修道院で皿並べの仕事を任されたのです。食器をセットしてまわるという単純な作業は作業そのものにはやりがいもなければなんの楽しみもありません。バリバリ仕事をこなしていた彼女はあまりにも単調な仕事に嫌気が差してきたそうです。
その不満を修道院長にぶつけると、修道院長からこう言われたそうです。「あなたは何を考えながら皿を並べていますか。同じ皿を並べるなら、やがてそこに座る人の幸せを祈りながら置いてはどうですか」と。「祈ってあげたい」と思う人の座席に祈りながら皿を置くことは簡単です。しかし、誰が座るかわからないし、もしかすると自分の大嫌いな人、または敵とさえ思う人が座るかもしれない座席にも「お幸せに」と祈りながら皿を置く・・・。それにより、渡辺さんは「愛」の気持ちを学んだそうです。
ロボットでも並べられる皿をロボットと同じに置いてはいけません。人間には人間にしかできないことがあるのです。「つまらない」と思いながら仕事をしたら、つまらない時間を過ごしたことになります。しかし、幸せを祈りながら仕事をしたら祈りと愛のこもった時間になります。それが人間にはできるのです。皿並べのような単調な仕事も、掃除、洗濯、アイロンかけといった雑用もそれに愛がこめられた時、尊くも意味ある仕事になるということです。
この世の中に「雑用」という「用」はありません。仕事を「雑」にしたときに「雑用」となるのです。有意義な仕事にするか雑用にするかは人間の心の持ち方次第です。雑用だと思ってイライラしてやるか、想像力を働かせて自分の今の仕事がどのような結果を生むのか考えながらやるのとは大きな違いです。
会社における雑用も同じです。最近は「成果主義」という人事制度が導入されたことにより余計な知恵が付いてしまって、自分の評価につながる仕事以外は何にもしないという人が増えているようですが、評価につながらない仕事イコール意味のない仕事では決してありません。実は、そのような仕事の中に自分の将来を決めるような大事な意味のある仕事が隠れているのかもしれません。 |