今回は生理学者の渡辺俊男氏の著書「人はどうして疲れるのか」(ちくま新書)
から「紙コップ時代の疲労」という話を紹介します。渡辺氏はこの著書で疲労
について次のように書いています。
「疲労するのはよくないことだ」という考え方は間違いです。生きているもの
は必ず疲れます。疲労することによって自らの休息の必要を知り、休息の結果
体力・気力が回復して、次なる活動が可能になるのです。命あるものの優れた
機能は、消費と供給、活動と休息、消耗と回復のリズムを繰り返し、内外の環
境変化に適応することです。こうした生命現象の一つが疲労であり、「疲れた」
というのは休息を必要としているサインのことなのです。
疲労の正体はちゃんとは解明されていません。過去にはエネルギー消費量や乳
酸の量的な変化を記録するなど、様々な角度から疲労の研究や実験が行われて
います。また、血液や尿、脳波や心電図などの科学的なデータによって疲労時
の現象はいくらか解明されましたが、疲労自体のメカニズムは解明されていま
せん。人は「疲れている」と言いますが、それは主観的な感覚で、疲労を客観
的に測る方法は確立されていないのです。
通勤時の満員電車で身動きのできないまま立っていると、運動していないにも
かかわらず、ひどく疲れを覚えるものです。歩いているよりただ立っているだ
けの方が疲れやすいのです。また、仕事でも単純な繰り返し作業は表面上は単
純そうに見えますが、それを行う生体の仕組みは複雑です。このような作業を
果てしなく続けると、疲労が局所に集中してきます。局所的作業はエネルギー
の消耗は少ないですが、精神的な疲労が加わるのです。人間の体は部分的に独
立しているものではないので、どこかの一部分に強い疲労が続けば、必ず体の
他の部分に影響し、やがて全身に疲労が及びます。特に制約度の高い作業、単
純な繰り返し作業は、筋肉を抑制しながら働かせるためにエネルギーを使うの
で、全身疲労が早まるのです。
道具を使った手作りの時代から機械化の時代になってくると、筋肉による力仕
事は機械によって代替されました。これに伴って人間の仕事は筋作業から感覚
や認知、判断の作業が増え、人間の労働にはこれまでになかった精神や神経の
疲労が多くなってきました。紙コップを持つ場合には、力を入れすぎるとつぶ
れてしまうため、ガラスのコップを使う時より神経の動きが多くなります。紙コップを握る筋肉と握りすぎないようにする筋肉の両方をうまく調節しなけれ
ばならないからです。つまり、紙コップを握る時のようにデリケートな力を出
すには、必要な力の割りにはたくさんの神経を使うのです。「紙コップ時代の
疲労」とは、現代の私たちの生活環境が知らず知らずのうちに神経の使い方を
複雑にして、精神的な疲労を高めている現象を言うのです。
疲れを知らない機械は動き続ければいつかは壊れてしまいますが、人間は機械
にはない柔軟さや適応性を持っているため、疲労のサインに気づき、休息や回
復を繰り返すことで機械のようには壊れません。ただ、人間も疲労のサインを
見落としてしまうと、働きすぎによる病気や過労死になる場合があります。働
きすぎにならないように疲労のサインに素直に従って休息をとることが大切な
のです。
働くことは疲れることであり、休むことは働く意欲をかきたてる最良の方策で
す。休むことに罪悪感を抱いたり、勤勉であることだけに生きがいを持つこと
は疲労のサインを見逃すことにつながります。「疲れるからこそ生きられる」
ことを理解して、上手に疲れて元気に働くことが楽しく人生を送るために重要
なようです。(終) |