キュウリの原産地はインド北部からネパールにかけてのヒマラヤ山麓といわれています。インドでは少なくとも3000年以上前には栽培されていて、西アジアでも紀元前に定着していたと考えられています。ヨーロッパには14世紀頃に伝わりました。
日本には6世紀から10世紀頃中国から伝来しました。その当時は『胡瓜』とは言わず『黄瓜』と呼ばれており、今のように未完熟の青々しいものを食さず、完熟させて黄いものを食用にしていたようです
栽培が盛んになったのは江戸時代後期になってからです。
江戸時代まであまり多くの人には好まれていませんでした。キュウリの切り口は徳川家の三葉葵の紋に似ているためと3日天下と呼ばれる明智光秀の家紋、桔梗にも似ているための理由で、武士の人は、なかなかキュウリを食べる習慣がなかったと言われています。
農業全書(1697年)には、「黄瓜の名は胡瓜、是下品の瓜にて(中略)都にはまれなり」という記述があり、当時はまだ地方でしか栽培されていなかったことがうかがえます。また品種改良されるまでは苦みが強すぎたため、かのグルメ大名、水戸の黄門様こと徳川光圀公などは、「毒多くして能無し。植えるべからず。食べるべからず」とさんざんだったようです。
上記のような記録もあることから、きゅうりは苦味がつよかったため、あまり庶民にはひろまっていなかったようです。明治時代に入り品質改良により、多く出回るようになりました。そしていまでは日本の野菜事情では、キュウリの消費量は果菜類トップです。お漬物に、サラダにと、さまざまな利用法が出てきたというのが、理由の1つとも言えます。
きゅうりが、ヴィクトリア朝では富の象徴でした。なぜならことときに紅茶文化が最盛期を迎え、上流階級の人たちが美しいティーセットをそろえました。アフタヌーンティの習慣のはじまりです。
3段のティースタンドはアフタヌーンティではなくてはならないもので、そこには、紅茶ともに頂く、サンドイッチ、スコーン、ケーキが配置されました。そこで定番がきゅうりのサンドイッチです。
上流階級の紳士、淑女は広大な土地を所有し、農園を経営していました。収穫したばかりのきゅうりをパンに挟んでゲストをもてなすことは、広い農園を維持出来るだけの財力を持っているということの証でした。
いまでは、ちょっと素朴なきゅうりのサンドイッチは、とても価値のあるものだったようです。
きゅうりのサンドイッチたべてみたくなりますね。
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