日本におけるお米づくり・稲作の歴史は非常に古く、なんと縄文時代から始まりました。中国から九州へと伝わったとされる稲作技術によって、少なくとも3000年以上前から日本人がお米をつくっていたことが明らかになっています。
日本には、稲作農業が始まった古代から、米を中心とする社会ができました。米栽培の共同労働、農村共同体、水の管理から生まれた結(ゆい)という共同体などが、日本の社会の基礎ともなっています。
米と食生活が密接につながっている日本では、米が租税の1つの形である年貢になり、その形が長い間続きました。領主が農民や民衆に課す税が年貢という形で始まったのが平安時代初期。その頃、租税は主に米で納められ(年貢米)、米は支配層の主たる財源となったようです。
年貢の制度は、江戸時代まで続き、明治時代に廃止されました。
お米が私たちの主食になったのは、第2次世界大戦以降で、歴史としては短いのです。それ以前は、麦・ひえ・あわなどの雑穀(ざっこく)に、お米2~3割を混ぜたご飯を食べていました。
米にまつわることで、人々の生活に大きな影響を与えて、来ました。
さまざまな地方に伝わる祭りごとのはじまりは、稲作は気候の影響を強く受けてしまうため、人々は神々(大自然)の力で稲がつくられると考えていました。稲の豊作を神々に祈願するために行われるようになったためです。
また、稲は、米をつくるだけの植物ではなく、日本に豊かな文化を育ててきました。わら製品、
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わらぶき屋根 などです。「わら」は、たたみの材料として有名です。
米の加工・醸造も多数あります。
米の加工品としては、もち米を搗(つ)いてできる「もち」。もち米と小豆(あずき)をいっしょに炊いた「赤飯」。お米からは「すし」や「おかゆ」。お菓子では、もち米からつくる「あられ・かきもち(おかき)」、うるち米からつくる「せんべい」。米を原料とした醸造品は「酢」、「清酒」、「みりん」など。日本食、日本の食卓の中心であることは間違いないようです。
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